センバツ出場校決まる
春のセンバツの出場校が今日決まりました。
6年ぶりに九州地方の代表で沖縄尚学高校も出場します。
私は6年前に沖縄の大学に研究生で在籍していたのですが、その時に沖縄尚学が沖縄県勢で初めてセンバツで優勝しました。今日は、その時の思い出を少しばかり。
たしか、決勝戦の日は雨でした。沖縄に引っ越したばかりでまだ東京都民の気分だったので、沖縄尚学が決勝戦に出ていることもそんなに気にとめず、その日はコインランドリーで洗濯をして時間をつぶしていました。そこへ、洗濯物を取りに来た近所の主婦の方が来て、「あなた、沖尚が優勝しそうなのに、なんでここにいるの!?」と言われたのですね。それを聞いて、沖縄ってたしか春も夏も甲子園優勝したことないから、これは歴史的瞬間に立ち会えるかも!と思って慌てて洗濯物回収して家に帰りました。
そのあと、家で決勝戦の中継を見ていたんですが、試合中は気のせいかいつもより車の通行量も人通りもが少なかったような気がします。(まあ、町の雰囲気としては2002年のW杯で日本の試合があった日の様子に似ていたかなあ。)で、優勝が決まった瞬間、車の量が増えはじめ、静まっていた街が動き始めました。気がつけば、雨もやんでいました。
試合が終わったあと、せっかくだからと優勝に沸く那覇市内の様子を見に行き、優勝を報じる地元紙の号外をもらって帰ってきました。それから数日間は沖縄もいろいろと盛り上がり、優勝記念セールをやるお店もあったりして、私もジーパンを定価の2割引きで買いました。そういえば、決勝戦の翌日が大学の入学式でしたが、出席予定の稲嶺知事は甲子園の応援で欠席され、副知事の牧野さんが祝辞を代読されました。もちろん、話のはじめは沖尚の優勝ネタでした。
その年は、ゴールデンウイークに2000年のサミットの会場が沖縄に決まったりと、ちょっとした沖縄イヤーでした。その翌年には、初めて沖縄を舞台にした連続テレビ小説「ちゅらさん」の放送も決定。今に続く沖縄ブームが始まるわけですが、そのきっかけは沖縄尚学のセンバツ優勝だったような気がします。
もうひとつ・・・、ちょうど沖尚が優勝した頃に先代の坂東三津五郎丈(今の三津五郎丈の父上)が亡くなったのも思い出しました。今月の歌舞伎座では、先代三津五郎丈の七回忌追善の演目「どんつく」が上演されます。そのころ、引越しでバタバタしていて新聞をまだとっていなかったので、丈が亡くなられた事を知ったのはかなり後だったのも覚えています。
ともあれ、今回は東京の空の下、沖縄尚学高校を応援したいと思います。「どんつく」も観にいきます。
※前述のジーパンは、去年まで活躍し、引退しました。結構物もちは良かったです。
« ペットとも遊べますよ。 | トップページ | 旅に出ておりました。 »
「オキナワノハナシ」カテゴリの記事
- 沖縄の冬を彩るアイテム(2011.01.12)
- 楚辺青年会(2010.07.31)
- 熟睡ネコ(2010.04.10)
- 本日のディナー(2010.04.10)
- 那覇なう。(2010.04.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント