「ママいつまでも生きてね」
ラピュタ阿佐ヶ谷のダイニチ映配特集で「ママいつまでも生きてね」(1970・大映東京)を観てきました。
あらすじはコチラ(キネマ旬報データベース)
中学生の文夫(中村光輝)はスポーツも勉強もできる人気者。そんな彼をある日病魔が襲う。肩が痛むので病院で診てもらったところ、骨肉種に罹っていたのだ。進行を防ぐために文夫は腕を切断するが、それでも彼はパパ(小山田宗徳)、ママ(月丘千秋)や姉たち、友人に支えられパワフルに生きていく。
やがて文夫は家族で万博@大阪に行くことができるほど元気になるが、万博の会場で文夫は腰の痛みを訴える。骨肉種が転移していたのだ。。。
今の中村歌昇、当時の中村光輝が主人公の少年を演じているので観にいったのだけど、ニクいほどうまい!彼が名子役だったという話は聞いたことがあったんだけど、本当なのだなあ。腕を切断する手術をするために麻酔を打つ場面の悲しみと恐怖の入り混じった表情なんて真に迫ってました。
あらすじは闘病モノにありがちな内容だったのだけど、かなりハードな状況でもポジティブな文夫クンを見ていて、人間、腐っちゃイカンのだな、と思いました。月並みな感想ですが。
がんセンターの明るくシャキシャキした看護婦がなんと悠木千帆(樹木希林)、パパの同僚の新聞記者に伊達三郎なんていうビックリキャストもあり。万博のシーンは現地でロケしていて、貴重な映像かも。
オープニングの音楽(by渡辺岳夫)がパヤパヤいっていて、翌年の「温泉みみず芸者」の音楽を思い出したのだけど、パヤパヤいうのは当時の流行だったのだろうか?文夫クンのお葬式の場面にまで流れるのにはちと困った。
そして文夫クンの好きな野球チームは、もちろん巨人などではなくロッテなのでした。なぜかはWikiのココを読んでみてくだされ。
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コメント
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2007.11の記事に今頃コメント失礼します。
「ママいつまでも生きてね」
小学生の時(昭和40年代)に巡回映画が来てこの映画を見ました。骨肉腫になっった腕を切断後、跳び箱を飛ぶシーンが印象に残っています。またリンゴをかじると血が出ませんかのデンターライオンのCMのおじさん:福田豊士さんが出演していたことも印象に残っています。
「父ちゃんのポーが聞こえる」も見ました。今検索したらこれも闘病物。
また「パンダコパンダ」も巡回で来ました。パパ:熊倉一雄さんの『特に竹藪がイイ』のセリフが一時流行りました。
投稿: どーも | 2009/08/14 22:27
>どーもさん
コメントありがとうございます。この映画は、光輝さんの懸命な演技が印象的でした。
パンダ好きなので、「パンダコパンダ」は観てみたい作品です。
投稿: なべら | 2009/08/17 19:39
1970年のカレンダーがかけられた病室の酸素テントの中で、静かに眠っている主人公と、ラストシーンで教室で主人公が作文を読む声をナレーションに入れながら故人を偲ぶシーンが印象に残っています。
作文は公害の問題とか道路の舗装率を上げる必要があるとかでした。
まだまだ日本は発展途上だったのですね。
投稿: カミガタ | 2010/12/23 12:04
>カミガタさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
主人公がなくなるシーンが淡々と進んでいくのが印象的でした。
1970年といえば、たしか万博のシーンも出てきたような気がします。日本の高度成長、最後のスパート時期といったところでしょうか。
ところで、カミガタさんのサイトの山の写真拝見させていただきました。山登り、楽しそうですね!
投稿: なべら | 2010/12/26 11:07