喜納昌永さんがなくなった。
いま、googleの設定をしていて朝日新聞のニュースで知りました。
喜納昌吉さんのお父様で、戦後の沖縄民謡界の歴史を彩ったひとりです。
喜納昌吉さんの父・琉球民謡大家の昌永さん、死去(asahi.com)
この方の唄う「通い船」と「多良間ションガネー」が大好きで、CDでよくリピートして聴いたものだ(泣)。
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いま、googleの設定をしていて朝日新聞のニュースで知りました。
喜納昌吉さんのお父様で、戦後の沖縄民謡界の歴史を彩ったひとりです。
喜納昌吉さんの父・琉球民謡大家の昌永さん、死去(asahi.com)
この方の唄う「通い船」と「多良間ションガネー」が大好きで、CDでよくリピートして聴いたものだ(泣)。
大浦みずきさんが亡くなった。
http://www.blooming-net.com/agency/blog_info/oouramizuki/(所属事務所のHPより)
初めて生で宝塚を観たのが、花組の東京公演「真紅なる海に祈りを」と「ヒーローズ」(ちょうど23年前の11月!)でした。そんなわけで当時の花組の皆さんには思い入れがあります。
トレンチコートのステキだったペイさん、きれいだったマサエちゃん、ダンスがかっこいい二番手のなつめさん、出身幼稚園が一緒だったルコさんをはじめ、レモンちゃん、ピノさん、かずき、チコちゃん、タラちゃん、ヤン&ミキ、ゆうまくん。。。
その中の一人だったなつめさんがこんなに早く亡くなってしまうとは(泣)。リアルタイムで観た宝塚のトップさんが亡くなるという事態にはじめて直面したので、すごく悲しい。。。
昨日は歌舞伎座夜の部に行ってきたのですが、家に帰って夕刊を読むと中村又五郎丈の死亡記事が。。。
中村又五郎さんが逝去されました(日本俳優協会HP)
先月の歌舞伎座の手打ち式には参加されていたんですよね。
先の大戦のとき、又五郎さんが出征するときに歌右衛門さんが新橋駅まで見送りにきて、二人で手を握って別れを惜しんだ話が忘れられません。たしか最後の舞台の口上でもその話をされていたような。
池波正太郎の「又五郎の春秋」は名著です。
フランク永井氏が先月亡くなっていたそうだ。
「有楽町で逢いましょう」フランク永井さん死去(asahi.com)
自殺未遂したときは、私は小学生だったのだけど、紅白などでよく見かける歌手がそんなことになってしまうことのがショックだった。。。そのまま復帰せずに亡くなってしまったのが残念。
低音に弱いので、「君恋し」にはしびれたものだ。ご冥福をお祈りします。
水野晴郎氏逝去。
水野晴郎さん死去=映画評論家から監督にも挑戦(時事ドットコム)
今日は会社はお休みしていて、のんびりとお昼の番組を見ていたらこのニュースが飛び込んできた。驚いた。
水野氏は近所の図書館でやっている映画鑑賞会に年に解説で数度か来ていて、私も去年の夏に「激動の昭和史 沖縄決戦」を観に行ったときに氏の解説を聞くことができた。(そのときの記事はコチラ)
そのときも体調が悪い中、しっかりとシベ超Tシャツを着て参加され、あの軽やかな口調で解説をしていた。キャパの小さいホールで収容人員もそれほど多くない小さな催しで、解説時間も短いのに来場した水野氏の映画に対するハートを強く感じた出来事でした。
子どものころ、水野氏の「映画って、本当にいいもんですねえ」という解説を見て、映画のことがまだ良くわからなかったけど、大人になったらああいう風に楽しく映画を観たいなあと思ったものです。
※東京新聞本日の夕刊掲載の氏の死亡記事の写真が、山下大将の扮装をした写真だった。(実話)
愛すべき上野動物園の看板男、パンダのリンリンが死んでしまった。一昨日から公開中止と言うニュースを聞いて心配してからすぐの出来事でショックです(泣)。
去年の11月に、久しぶりに上野動物園に行ったときには展示場のプールの中に座ったままじっと動かないままでした。このときに書いたブログの記事には「うたた寝している」と書いたのだけど、この頃にはもう体調が芳しくなかったのですね。。。
私が物心ついたときには上野にはランラン・カンカンがいて、いつも上野にはパンダがいるものだと思っていたので、パンダ好きの私はぽっかりと心に穴が開いた感じがします。
上野にパンダが戻ってくる日がくるのを祈りつつ、繁殖活動のため、東京メキシコ間を3往復、さらに来日前には渡英もしたという空飛ぶパンダ君の冥福をお祈りします。
稲尾和久氏が急死。
稲尾和久氏が急死 鉄腕伝説は永遠に不滅(東京中日スポーツ)
この前、稲尾さんが出演していた「一刀斎は背番号6」を観たばかりだったので、急なニュースに驚いた。まだ70歳だったんですね。1958年の日本シリーズでの活躍はマジで神だ!
ちなみに、偶然にもシネマヴェーラ渋谷では17日と21日に「鉄腕投手稲尾物語」(1959・東宝)を上映します。主演はご本人です。
作詞家の阿久悠さんが亡くなりました。
作詞家阿久悠さん 死去 「勝手にしやがれ」「UFO」(東京中日スポーツ)
子どものころピンクレディーが大好きだったので、阿久さんの歌にはお世話になりました。ジュリーの「勝手にしやがれ」やさゆりちゃんの「津軽海峡冬景色」も阿久さんの作品なんですねえ。
ご冥福をお祈りします。
今日、植木等さんが亡くなってしまった。。。
植木等さんが死去 コメディアンで性格俳優(東京新聞HP)
小学生のときに親に隠れてこっそり見た「ハングマン」のオショウの飄々としたキャラが好きになったのが植木さんとの出会いだったかなあ。(実家がお寺さんなのですよね。「スーダラ節」を聴いた植木パパが「この歌はは親鸞上人の教えにも通じる」と言ったというエピソードがあったような)
中学生の頃、なぜか友人と「植木等ブーム」になり、(たぶん、テレビドラマの「オヨビでない奴!」放送してた頃かな)「植木センセイ」などと呼んでいて、それ以来ずっと彼のことを「植木センセイ」と呼び続けております。
あの豪快な笑いと、軽やかな動きが大好きでした。「ニッポン無責任時代」はじめ植木センセイ出演の映画はほとんど未見なので、今度絶対レンタルで借りて観るぞ!というか、どこぞの映画館で追悼上映やってくれないかなあ。。。大画面ではねまくる植木センセイを観たいよう。
ご冥福をお祈りします。植木センセイのいない日本なんて、マジでさびしい。。。
今日、俳優の仲谷昇さんが亡くなった。
俳優の仲谷昇さん死去 舞台や映画で幅広く活躍(asahi.com)
仲谷さんといえば、1990年-1991年にフジテレビの深夜枠で放送されていた「カノッサの屈辱」の歴史学者の先生が大好きでした。この番組、あのころのさまざまな商品(ホテルとかインスタントラーメンとか)の歴史を、世界史や日本史の出来事になぞらえて紹介する番組でした。
あのころはバブル末期で、取り扱うテーマも軽めなわけですが、それを仲谷さんがまじーめに解説するギャップがおかしくておかしくてたまりませんでした。
放送当時私は高校生だったのですが、この番組のおかげで歴史の授業を受けるのも楽しみになってしまった次第。
ともあれ、ご冥福をお祈りします。
※第一話の内容を書いたサイトを発見。なつかしいなあ。
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